zǎo fā bái dì chéng lǐ bái
早発白帝城 盛唐 李白
cháo cí bái dì cǎi yún jiān
朝辞白帝彩雲間
qiān lǐ jiāng líng yī rì huán
千里江陵一日還
liǎng àn yuán shēng tí bù zhù
両岸猿声啼不住
qīng zhōu yǐ gùo wàn zhòng shān
軽舟已過万重山
李 白(り はく、簡体字: 李 白、拼音: Lǐ Bái、701年(長安元年) - 762年10月22日(宝応元年9月30日))は、中国の盛唐の時代の詩人である。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士[1]。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世『詩仙』と称される。
Tuto-ni hakutei'jyo-wo ha^ssu
早に白帝城を発す 李白
Asita-ni ji^su hakutei saiwun-no kan
朝(あした)に辞(じ)す白帝(はくてい)彩雲(さいうん)の間
Senli-no kouryou itijitu-ni kae^lu
千里(せんり)の江陵(こうりょう)一日(いちじつ)に 還(かえ)る
Ryou'gan-no yen'sei nai^te yama^zalu~ni
両岸(りょうがん)の猿声(えんせい)啼(な)いて住(や)まざるに
Kei 'syuu sude-ni su^gu bann'chou-no yama
軽舟(けいしゅう)已(すで)に過(す)ぐ万重(ばんちょう)の山(やま)
口語訳
朝早く、朝焼け雲のたなびく白帝城に別れを告げて、
千里先の江陵まで、一日で行く。
両岸の猿の声が、絶え間なく続くうちに、
(私の乗った)小舟は、いくえにも重なる山々を過ぎていった。